東京オリンピックが開催されたので、市川崑の『1964年東京オリンピック』を見直しました。この作品はふだん見慣れたスポーツのTV中継とは違って、選手たちの筋肉や汗、水しぶきやトラックの土などが、クローズアップで撮影されています。その撮影と編集方法で、見る人は一流選手の競技に感動を覚えます。
また映画は、じわじわと上がっていく太陽の映像が何度もながれ、当時この国が再興していく状況を表しています。
現在からみると、1964年の東京オリンピックはこの国が一丸となってこの一大イベントに取り組んだような印象を持ちますが、『1964年の東京オリンピック : 「世紀の祭典」はいかに書かれ、語られたか』(石井正己 編)を読むと、今の日本と同じように死んでも反対という人も多くいたことがわかります。
人は見方や、見る状況、だれと一緒に見るかなどで、同じものを見ても印象はかわるものです。今回のオリンピックはまさにそのような状況にある大会といえると思います。スポーツ観戦にかぎらず、それぞれの人が独自に持っているものの見方はあるものです。それとは違う見方ができる、あるいは自分と 違う見方を尊重できることが『今ここ』だけのSNS社会においては、もっとも大切なことのように思います。今号の『やうやう』もあなたにとっての違う見方を少しでもご提案できたらうれしく思います。
文・土屋耕二
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