中西茂(前)鹿屋市長へ

23号掲載

私は元鹿屋市役所職員で、今は東京の会社で働くサラリーマンだ。鹿屋市役所を40代で退職してから、まもなく10年になる。
市役所時代の最後にお仕えしたのが、2026年2月4日に退任された中西茂(前)鹿屋市長だった。たいへんお世話になった方である。今回、元市長とか「さん」付けで書くべきなのだろうが、どうしてもしっくりこない。私にとって、一番しっくりくる呼称は「市長」だ。今回はその呼び方を許してほしい。

私が退職前に担当していた仕事は、「国民文化祭(国文祭)」だった。文化の祭典とはいえ、当時の国文祭は、正直に言えば、市民にとって決して身近なイベントではなかったと思う。
鹿児島県で初めての開催ということもあり、前例のない中で、県も市町村も手探りで準備を進めていた。
鹿屋市では、教育委員会を中心に、文化協会、美術協会、まちづくり鹿屋、観光セクション、学校、さまざまな団体を巻き込みながら準備を進めていた。私は担当係長として、この国文祭を、文化活動をしている一部の人だけのものではなく、子どもから高齢者まで、多くの市民が「参加して楽しめるもの」にしたいと考えていた。

そこで、当時としてはかなり思い切ったPRを行った。公務員系アイドルを前面に出したプロモーションである。部下に「ガヴァメントワーカー」というユニットを組ませ、イベントなどでPR活動をしてもらった。
キレのあるダンスを踊るカンパチロウと、その曲を歌うガヴァメントワーカー。今でも、カンパチロウが踊るときに流れているあの曲を覚えている市民の方も多いのではないだろうか。

もちろん、賛否はあった。
「市がアイドルのようなことをするなんてけしからん」そんな声が市長のもとにも届くようになり、ある日、私は市長室に呼ばれた。そこで、私たちがなぜこのPRを行っているのか、市民に知ってもらい、参加してもらうことがなぜ大事なのかを、拙いながらも必死に説明した。
話を聞き終えた市長は、少し間を置いて、こう言った。「思い切ってやれ!」その一言だった。細かい指示があったわけではない。ただ、「責任は自分が持つ」という覚悟が、はっきりと伝わってきた。

新しいことをやるのは自治体において簡単ではない。前例を外れるほど、批判は出やすい。そして、現場は不安になる。だからこそ、あの一言は、私たちにとって何よりの後ろ盾だった。
その後も、市長の耳にいろいろな声が届いていたと思う。それでも、あの件で私が再び呼ばれることはなかった。私たちは、市長の言葉を胸に、国文祭の準備と開催に邁進した。
当日、親子連れや高齢者、若い人たちが会場で楽しんでいる姿を見たとき、「やってよかった」と心から思った。文化に触れるきっかけの日として、鹿屋の一日をつくることができたのではないかと、今でも思っている。

市長からあのときにいただいた言葉は、市役所を離れた今でも、折に触れて思い出すことがある。現場を信じ、最後は責任を引き受ける。その姿勢を私は忘れない。
すでに退職して久しい身でありながら、市長の退任を知ったとき、正直に言えば、寂しさを感じた。勝手なものだと思う。それでも、市長のこれからの人生が、穏やかで、実り多いものであることを、心から願っている。

市長、本当にありがとうございました。そして、どうか、これからも思い切り、ご自身の人生を楽しんでください!


文・谷村亜希子
鹿屋市出身。鹿屋市役所で16年間働いた後、都会と地方の架け橋になる!という思いを胸に、地方移住を支援している東京のNPO法人に転職。2024年5月にUターンし、思い変わらずフルリモート勤務中。

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