(12号掲載)
ぼくはこうやってZINEを作ったり、トークイベントをひらいたり、配信をしたり、ときどきレコードでDJもしていて、最近はマンガまで描いています。(こう書いてみて自分でもやりすぎだとは思います。もうこれ以上は増やしません。)そんなぼくですが、いちおう料理人として生きていて、「生うどんつちや」といううどん屋を16年経営しています。
うどんは「和食」や「フランス料理」などと比べると、料理としては枠が小さいものです。ぼくは和食屋でもフランス料理屋でも働いたことがあるので、その料理としての枠の大きさには敬意をもっていますし、今でも専門的な料理の本には目を通しています。その前提でいうと、うどんのような一種類だけの料理でも店はやっていけます。いい仕事をすれば、お客さんは来てくれるし、経営は楽ではないですがなんとか生活はできます。そういう意味では、料理の世界はコネや、学歴などで決まることはないフェアな世界であり、ぼくはそういうところがこの仕事の好きなところでもあります。
ただ、いい仕事をして美味しいものを作れたとしても、料理そのものだけで美味しさが作られるわけではありません。例えば、お酒を飲む人ならわかってもらえるでしょうが、どこかに旅行にいく前の空港で飲むビールのうまいことといったらありません。これまでの仕事の疲れや日々のごたごたから一時とはいえ距離をおける解放感、さらにはこのあとの旅行を楽しむ高揚感で、いつも飲むビールにはない美味しさが空港のビールにはあります。
ぼくたち料理人が美味しさのためにできることは、それほど多くないのかもしれません。食べる相手のコンディションや感情は基本的にどうしようもないし、お客さんがどんなものを美味しいと感じるのかは、結局はわかりません。今置かれた状況でまわりに合わせながら、やれることをきっちりやっていくというのが、お客さんも喜んでくれるし、料理人としても経営としても一番うまくいくのかもしれません。
文・やうやう編集長 土屋耕二
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