耳鼻科医院ときんさんぎんさん

 幼いときのぼくは中耳炎で、毎年夏になると必ずがんがんと痛み、ある耳鼻科医院にかかっていた。通院はなれたもので、親は小学生のぼくを病院において、買い物などをすませていた。その病院には階段があったが、看護婦(昔は看護師という言葉は使われていなかった。)も通ることはなく、待合室のベンチがいっぱいのときはみんな階段に座って自分の順番を待っていた。ぼくはその日も耳の痛みを我慢しながら病院の階段に腰かけていた。階段に座るくらいだから、患者も多く、なかなか順番が回ってこない。そんな状況で我慢の限界を超えていたのだろう、ぼくは一人涙を流していた。しばらく泣いていると、それに気づいて誰かが看護婦さんに「この子を先に見てあげて」と言ってくれた。そのときどんな治療や処置をしてもらったのかは覚えていないが、とにかくそのことは覚えている。そんな思い出があるその病院も数年前に医院長の引退とともに閉院となった。

 ぼくは自分の子供を耳鼻科につれていかないといけない立場になった。新しい病院はすぐに見つかるだろうと思っていたが、それがどうもいい病院が見つからない。初診では紹介が必要だとか、2週間前から窓口で予約の紙に記入しないといけないとか、知人に聞くとあそこは予約に遅れたら怒られるとか、あそこはとにかく対応が悪いとか。そんな話ばかりだ。そんなところには行きたくないのだが、仕方ないのでどこか適当な病院を探して行くことになるのだろう。

 このまえNHKで、100歳の双子のおばあちゃん、きんさん、ぎんさんの映像が出ていた。そのとき、きんさんは簡単な手術が必要で入院していた。ほんの2、3日の入院だったが、退院するときは大きな花束を渡されて、病院の壁には「きんさん、退院おめでとうございます」の大きな垂れ幕まであった。それだけではない。病院の周りではきんさんの退院をお祝いしようと街の人たちが集まっていた。タクシーで自宅に帰るきんさんにみんなが手を振っていた。みんな、暇なのか?
 と、思うが、今のぼくたちのやっているあれこれも、振り返ると暇なのか?となるのだろう。それと同時に、なんかこういうこともあったなぁといい思い出にもなるのかもしれない。きんさん、ぎんさんを懐かしく見ながらそんなことを考えていた。


文・やうやう編集長 土屋耕二

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