19号掲載
かわいい盛りは一体いつからいつまでのことなのだろう。よちよち歩きの頃は確かにかわいい。よちよち歩きの子を見ると、道行く知らない人までが思わず「かわいい」と目を細める。この時期限定?
いや、2歳過ぎて片言のおしゃべりが始まった頃もなかなかどうして捨てたもんじゃない。『子どもは3歳までに一生分の親孝行をするんだって』と聞いたことがある。一生分の親孝行ができてしまうほどかわいいというわけだ。では、かわいい盛りは3歳まで?
この言葉を聞いたのは、確か子どもどころか伴侶さえ定まらない独身時代だったが、妙に鮮明に覚えていた。そして結婚して二人の子どもに恵まれた今『親孝行といっても親に育ててもらった恩はそう簡単に返せるものではない。だから自分の子どもを無条件に愛し育てていくことで恩を返すんだって』と友人から聞いたとき、合点がいった。私も3歳までにとりあえずの親孝行をしたのだろう。そのあとかけた苦労や心配の方が大きいわけで、あとはわが子を育てることで帳消しにしてもらうのだと・・・。
第一子、長女夏唯(なつい)は現在3歳8か月。かわいい盛りは過ぎていると思う。女の子はおしゃべりだというのは世間の常識。男の子より女の子の方が言葉が早いというのも、育児に関する一般的な定説。夏唯の場合は、2歳の誕生日を皮切りに『2歳になったから、さあどうぞ』と免罪符でももらったかのように堰を切って言葉が溢れ出し、3歳を過ぎた今、近所のお兄ちゃんたちは言葉で虐げられ、母である私でさえ咎められる始末。成長を喜ぶ?とんでもない!それどころか怒り心頭。なぜなら、私そっくりの口調で、しかも正論だからなおさら腹立たしい。生意気の塊に怒りとため息が交互に押し寄せる日々だ。8か月前まではあんなにかわいかったのに・・・。
夏唯は3歳の誕生日に卒乳した。おっぱいが大好きだった。1歳を過ぎて「そろそろおっぱい離したら?」と言う姑や保健師さんの声をよそに、私もおっぱいが大好きな夏唯が大好きだった。おっぱいを飲みながら、夏唯が初めてのベビーサインで『おいしい、おいしい』をしてくれたとき、私はうれしくて泣いた。言葉が話せるようになり「おっぱいちょうだい」「ママのおっぱいおいしいね」などと言えるようになった。1歳ちょっとでおっぱいを離していたら、そんなセリフは到底耳にすることはできなかったわけだ。自然卒乳させたかった私は、おっぱいにからしを塗ったり、怖い顔の絵を描いて、泣かせて離すのではなく、自らバイバイしてほしくて機会あるごとに水を向けてきた。2歳の誕生日、クリスマス、ゴールデンウィーク、弟の誕生・・・など。どれも皆、失敗だった。というか、あくまで夏唯主導の卒乳だったわけだから、機が熟さなかったというべきか。
そして迎えた3歳の誕生日・・・。ケーキに3本の蠟燭を立て、ハッピーバースデートゥーユー♪を合唱し、問題のお休みの時間。
いつもならおっぱいを含み、眠りにつく。誕生日の夜に泣かせたくはなかったので、夏唯が納得しなければ卒乳はまた先に延ばそうと心に決めて布団に入った。いつも通り「おっぱいちょうだい」と言う夏唯。「なっちゃんはご飯もお味噌汁も、牛乳もおやつもいっぱい食べられるようになったから、3歳のお誕生日にケーキの蝋燭フ~って消したら、おっぱい神様にお返ししようって、前、言ってたよね。だからママ、おっぱいを神様にお返ししたのよ」そう言って絆創膏を貼った乳首を見せた。すると心配そうな顔で「イタイイタイ?」と聞くので「大丈夫だよ、絆創膏を貼ったから」と言うとしばらく悲しそうな目をしていたが、その目を閉じて何かを考えて・・・「バイバイ、おっぱい・・・」とつぶやいたのだ。閉じたままの目から涙が一筋伝い、夏唯はそのまま眠りについた。機が熟したのだ。涙が止まらなかった。
思えば世の中にこんなに愛おしいものがあるのだと教えてくれたのは夏唯だった。おっぱいを大事そうに小さな両手で包んで、恍惚の表情で飲む姿に『あなたを一生守っていくからね』と何度心の中でつぶやいたことか。親、兄弟、恋人や愛する貴女のパパ、その人たちに対するものとはまた、異なった種類の愛情が存在することを母になって貴女に教わった。いっぱい幸せな思いをさせてもらった。これからは私が夏唯と、そして、私の両親に恩返ししていく番だ。
私の結論・・・かわいい盛りは生まれてから3歳まで。夏唯は3歳の誕生日に最後の、そして最高の親孝行をプレゼントしてくれた。
文・上井七穂
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