鹿児島紀行

 6月の8日〜10日にかけて鹿児島県の鹿児島市内と鹿屋市内にいってきた。目的はやうやう編集長の土屋さんと同じくシラスという動画プラットフォームで配信をおこなっているケーナ奏者の山下Topo洋平が鹿児島と鹿屋でライブをおこなうのでみてみたいということと、土屋さんに久しぶりに会いたかったためだ。(うどんが食べたいの間違いかも)
 鹿児島空港につくと雨だった。その日は鹿児島市内の天文館カフェでライブがあるため、空港から高速バスを利用して天文館まで移動することにした。途中、おそらく幕末から明治にかけての英雄たちの像が建っているのを数回みた。さすがは明治以降、東郷平八郎をはじめ多数の軍人や政治家を輩出した薩摩藩があった県だけはある。
 天文館につくと、ホテルに荷物を降ろし、鹿児島在住の大学生と一緒にライブ会場に移動するために待ち合わせた。この大学生とは、2年前にはじめて土屋さんに会いに鹿屋にいったときに知り合って、そのときはまだ向こうは高校生だった。2人で何回か道にまよっていると同じライブにいく知り合いに会って、やっとライブ会場についた。その日のライブ会場は扉が本棚になってるようなかなりこだわったライブ会場でめちゃくちゃ分かりにくかった。
 ライブはとても素晴らしいものだった。何度か山下Topo洋平のライブはみたことはあるが、横からみるのははじめてだった。Topoさんのからだはワンピースのルフィのようなゴム人間じゃないかと思うぐらいに、伸び縮みしており、そうすることで音量の調整や音の広がりを調整していた。ちなみに、ケーナというのは南米の縦笛で、尺八もその仲間になる。単純な構造ではあるが、単純がゆえに、表現は奏者に強く依存するため、奏者の個性が出やすい楽器といえる。
 その後、ライブに来ていた土屋さんやTopoさんなどと打ち上げにいった。途中、鹿屋に向かう組と分かれて、鹿児島の大学生たちと2次会にいってホテルに帰ってきたときには午前4時近くだった。
 少しばかり寝た後、朝9時前の鹿屋に向かう直行バスに乗って、鹿屋に向かった。途中、バスごとフェリーに乗ったのには驚いた。現存する車体ごとフェリーに乗り込む路線バスとしては、全国唯一のものらしい。フェリーのなかにいくこともでき、前日、おいしいと聞いたフェリーのうどんを食べてみた。確かに、麺はこういうところにありがちな柔らかすぎるものではなくて、それなりにコシがあって、そこそこおいしかった。誰かに見られている感覚になって、振り向いてみると、そこには現天皇陛下がフェリーに乗った際の写真が飾られていた。
 鹿屋について、土屋さんがやっている生うどんつちやに向かった。ついたのが11時すぎだったのにも関わらず、すでに駐車場はほぼ埋まっていた。また、つちやうどんの店のまわりは紫陽花が咲きほこっていてきれいだった。ぼくは土屋さんの息子のりゅうのすけ君がおすすめの鮭のイクラのバター醬油うどんとかしわの天ぷらを頼んだ。うどんが来る間、一緒に鹿屋にきた人たちと漬物をつまみながら、ビールを飲んで待った。そのうちのひとりは、野菜のかき揚げを頼んでいたが、いわゆるかき揚げとは全然異なっていた。ブロッコリーとミニトマトが入っていて、見た目も鮮やかだった。鮭のイクラのバター醬油うどんはうどんというより、ひとつの新しい料理だとおもえるほど、今まで食べたことのない味だった。かしわの天ぷらもおそらく生で食べることのできるほど新鮮な鶏肉で、歯ごたえがすごかった。
 15時からのTopoさんのライブまでは時間があるので、ライブ会場の近くにあるゆたか温泉にいくことにした。ゆたか温泉はどこにでもありそうなスーパー銭湯みたいな外観だが、浴場にはいると中は広く、露天風呂まであった。さらに湯自体も少しとろみがある泉質で、めちゃくちゃ良かった。こんなに当たり前にいい温泉が近くにあり、それが500円ほどで入ることができるとは羨ましい。
 鹿屋のライブ会場は水車という場所であった。とても雰囲気がある場所で、その日は昼からだったが、また夜にジャズを聴いたりすると全然違った印象をもつだろうなと思った。ちなみに水車のオーナーは昔ケーナを吹いていたらしく、Topoさんと同じ師匠に教わっていたということだった。
 ライブ後、打ち上げに参加したが、前日にあまり寝てないこともあり、その日は早めにホテルに戻った。この日に泊まったホテルは普段は学生の部活合宿で利用されてるらしく、ぼくは2段ベッドが3つならんでる部屋をひとりじめすることになった。前日はカプセルホテルだったことを考えるとギャップがすごかった。
 最終日、ホテルからリナシティかのやに向かう途中、商店街の路地裏を通った。スナックやキャバクラが数多くあったが、当然、朝なのでどこも営業はしていなかった。ちなみに2020年度の都道府県別20歳以上人口10万人当たりのキャバクラ店舗数は沖縄県に次いで鹿児島県は2位だったらしい。コロナ渦でどれほど変わったかはわからないが、確かに前日の天文館では繁華街にキャバクラが数多くならんでいた記憶がある。
 リナシティかのやについて土屋さんたちと合流して竹亭でとんかつを食べたのち、飛行機までの時間があるということで、なぜかボーリングをすることになった。笠之原ボウルというお世辞にもきれいとはいえないボーリング場ですることになった。(その様子はシラスの山下Topo洋平のチャンネルでみることができる※1)10数年ぶりにボーリングをしたが、楽しかった。
 その後、近くのジョイフルで時間をつぶした。土屋さんがジョイフルのことを「鹿児島で有名なファミレス」と冗談でいっていたが、確かに本社は大分県にあり、九州出身の知り合いもジョイフルで青春をすごしたといっていたので、あながち冗談ではないかもしれない。それはともかく社会人になってファミレスでドリンクバーだけで駄弁るのは久しぶりだった。そもそも会話の内容も久しぶりにボーリングでからだを動かしたため疲れて頭がぼーっとして、まともに思いつくことができなかった。
 土屋さんがりゅうのすけくんを迎えにいくというので、ぼくたちはファミレスをでて、ボーリング場のよこにあるゲームセンターにむかった。本当はストリートファイターシリーズがあればしたかったのだが、コインゲームとスロットで大部分が占められており、仕方がなくぼくたちはボンバーマンのコインゲームをした。その間、Topoさんは黙々とUFOキャッチャーをしており、両手に景品を抱えていた。それをみたぼくたちはコインゲームからUFOキャッチャーにのりかえたのであった。帰るころには、景品袋に入りきらないほどの景品を手に入れていた。
 飛行機の時間が迫ってきていたので、やうやう編集部員のかたに鹿児島空港までおくってもらった。車のなかでは色々な話をしたが、特にボーリングやファミレス、ゲームセンターの話で盛り上がった。まさか鹿屋まできて、ゲームセンターなどにいくとは思わなかった。でも久しぶりに学生のころに戻ったような気持ちになって楽しかったというような話をした。
 空港について、食事をとり飛行機にのったときには深い眠りについていた。

※1 https://shirasu.io/t/topo/c/topo/p/202406140127
山下Topo洋平のHappy New Moment

文・hideaki

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