19号掲載

私は鹿屋市在住の東京の会社に勤めているフルリモートの会社員である。あっという間に50歳を過ぎ、人生100年あるとしても残り半分、健康寿命でいくと、この後何年間、自分自身の人生の手綱を取ることができるのかと考えるようになった。自分らしい老い方。そこで今回は私が憧れる先輩について書いてみたい。

私が東京に住んでいた頃、日比谷駅最寄りのJRの高架下にある天ぷら屋さんに足繁く通っていた。価格帯は日比谷にしてはかなり安価、今流行りのお店というよりは趣と歴史のあるお店だ。80歳ぐらいのご夫婦と息子さんでお店をやっていて、ご主人は天ぷらを揚げる担当、息子さんは天ぷら以外の調理担当、おかみさんは給仕担当だ。おかみさんが志布志市のご出身なので鹿児島県出身者もよく集っていて、とにかく常連さんの多いお店だった。

鹿児島市出身の友人から連れて行ってもらった後は、一人でも行ったし、友人を連れても行った。おかみさんは、気がついたら隣の席に座って、世間話をしながら飲むことが多かった。しっかり者で頼りがいがあると評判のおかみさんに、私は面白かった話、悲しかった話、やりたいこと、故郷に残してきた両親のこと、たくさんの話をした。私はご夫婦のことを、東京のお父さんとお母さんと呼び、お父さんとお母さんは、私のことを「あきちゃん」と呼んでくれていた。娘のように可愛がってくれたのだ。

お父さんとお母さんは「志布志連」という踊り連に所属していて、渋谷で毎年開催される「渋谷・おはら祭り」に参加していた。
知らない方のために説明しておくと、鹿児島市で毎年開催される「おはら祭り」は、渋谷でも毎年開催されていて、渋谷の道玄坂通りや文化村通りなど、渋谷のど真ん中に交通規制をかけて踊り連が練り歩く大きなお祭りだ。
私はお母さんに誘われて「志布志連」として、「渋谷・おはら祭り」に参加したことがある。故郷を離れ、東京で暮らす私に、鹿児島のコミュニティができた。志布志連の練習を通して知り合いも増えた。渋谷でおはら節を踊るという楽しい体験や人脈は、誘ってくれたお母さんのおかげだ。
私も東京のお母さんみたいに、目の前にいる人に真っすぐ向き合い、その人が本当に求めていることを提供できるような人になりたい。損得勘定なく、ただやさしさと温かさで人間関係を築ける人になりたい。そういう時間を重ねていきたい。

てんぷら職人のお父さんのことも触れておこう。80歳はとうに過ぎているのに、毎晩元気にてんぷらを揚げ続けている。そして、お父さんは天ぷらの注文がないときは、常連さんの隣に座ってお店で飲んでいるのだが、ずっとニコニコしながら、冗談を言っている。おはら祭りで踊っているときも、どこかユーモラスで、お父さんを見ていると自由に楽しくやっていいのだという気持ちになる。お父さんがいるだけで場が明るくなるから、お父さんのまわりに自然に人が集まってきて、その場所はいつも笑顔であふれている。
 お父さんみたいなほがらかさや自由さにも憧れるけれど、きっと私には少し難しいので、せめてお父さんみたいにニコニコしていたいと思う。少しだけでも明るい場所を提供できるような人になりたい。

お父さんとお母さんに会いたくなってきた。東京に行くときには必ず寄ろう。そして、これを読んで、お父さんとお母さんがいるお店はどこだろうと思った方、いらっしゃいますよね。日比谷の「天よね」というお店です。東京においでの際は、ぜひ行ってみてくださいね。素敵なお父さんとお母さんに会えますよ。

文・谷村亜希子

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